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2017年12月3日(日) 「パフェ友だち」 今年の「たいせつなもの展」に出品します。 画廊さんが毎年テーマを決めて、作家がそのテーマに沿い作品を作り、持ち寄って発表するという企画の展覧会で、今年で9回目を迎えます。 ありがたいことに、今年もお声をかけて頂きました。 今年のテーマは「いちご」ということで、この絵と、あともう1点発表します。 足をお運び頂き、ご覧頂けたら幸いです。 総勢50名の作家の展示ですので、私の絵はその中でひっそり紛れていることでしょう。 |
2017年10月15日(日) なかなか作品にならないエスキース(その2) どこか見知らぬ国の見知らぬ街角・・・ ついこの間、夏の名残のような温かい日が続いたと思ったら、急に肌寒い気候になりました。 すっかり秋です。 天気の良い休日ならば、自転車でブラブラ、ポタリングを楽しみたいです。(私の唯一と言っていい趣味らしい趣味。) 秋が深まるとポタリングの帰りはどっぷりと日が暮れていたりします。 そうすると、このような夜の街並みに遭遇します。 昼間には感じることのない、人恋しさや懐かしさ。 夕暮れの街の表情に胸がキュンとなるような感覚を、絵に表現したいと思っています。 |
2017年10月1日(日) なかなか作品にならないエスキース 数年前に描いたエスキース。 かなりゴチャゴチャで曖昧ですが、自分のイメージとしては夜のショップのディスプレイに小鳥がアレンジされている、といった感じです。 背景を抽象的に描きたいのですが、これが難しい。 なにかシーンとした静かな雰囲気の世界を描きたいといつも考えていますが、このエスキースからそんな世界が描けるだろうかと、またいつものように躊躇しています。 でもやっぱり作品にしたいなあ。 しっかりイメージを固めてから取りかかろうと思います。 |
2017年9月17日(日) 最新作 ケント紙に色鉛筆+鉛筆 14×10センチ 2017年 タイトルはまだついていません。 昨年7月に紹介したエスキースから制作しました。 絵具で描くと絵にならないかもしれないけれども、小さな鉛筆画ならなんとかなると思って描きました。 この絵から何か言葉が浮かんでくるといいのですが、 ちょっと時間がかかりそうです。 |
2017年8月26日(土) 未発表の絵 「光通信」 イラストボードにアクリル絵具 B6サイズ 2014年 鉄とガラスの四角い巨木に覆われた都会の夜。 男が手に持つ通信機器から光が放たれ、夜空を舞い上がる。 |
2017年8月5日(土) かなり前の絵 「観測計」 キャンバスにアクリル絵具 サムホール 1998年 これも下の絵と同時期に描いた絵。 何の観測をしているかは判らないが、水辺に建っている。 風速4メートル南西の風。 気温24度。 湿度43パーセント。 耳に入るのは微かな風の音。 上下にシンメトリーの構図は、逆さに同じものを描くのでちょっと根気がいる。 この時期は気に入って描いていたけれども・・・。 |
2017年7月22日(土) かなり前の絵 「海辺にて」 キャンバスにアクリル絵具 0号 1998年 涼しげな作品が自分にはないなあと思ってたら、だいぶ前に描いたものが2.3あることを思い出した。 海岸線の街道沿いにあるパーキング。 道路の向こうはもう海だ。 波の音、潮風、海の匂い。 |
2017年7月5日(水) 最近の絵 「夜のマーケット」 キャンバスにアクリル絵具 6号 遠い過去のエスキースがあまりにも無機質で退屈なものだから、自分でも嫌になって、載せるのやめにしようと思います。 あまり過去を振り返り過ぎるのも心に良くないなあ・・・。 恥ずかしいことばかりで、思い出すのも嫌になってくるから。 最近描いた未発表の絵を載せます。 これもあまり満足のいく絵になっていないのだけれど、少なくとも無機質ではないか・・・。 |
2017年6月17日(土) 遠い過去のエスキース、その2 1989年頃 「料金所」 色鉛筆、鉛筆 地上に出ても、こんな連続する風景を描いていました。 10代を郊外で過ごしたので、殺風景が心に染みついて、20代はこんな郊外風景ばかり描いていました。 新品の古代遺跡のような宅地造成地もたくさん描きました。 どれも公募展向けの、部屋にやっと収まるくらいの壁画のようなサイズで、やがてこのような制作発表に疑問を抱くようになり、大勢の前での演説ではなく、目の前の一人に囁くような作品が描きたくなり、発表も小さな画廊で個展を続けて行くようになります。 |
2017年5月26日(金) 遠い過去のエスキース、その1 ここに載せられるような良い新作が、相変わらず出来ないので、またまた遠い過去の絵を載せて行きます。 1983年秋 「エスカレーター」 色鉛筆、鉛筆 この頃はまだ半分学生をしていました。 大学のアトリエを我が物顔で使っていた頃です。 120号の作品のためのエスキースです。 どこまでも続いてゆくものや、どこまでも反復するものなどに関心があって描いていたころです。 同じ都市空間がテーマでも、心の捉え方が変わると、全く別人の描いた絵のようですが、私です。 他にも列柱の並ぶ地下道や地下駅を描いていましたが、恩師の、「藤沢くーん、早く地上に出なよー。」の言葉に従い、エスカレーターで外に出ることにしました。 |
2017年5月11日(木) 過去のスケッチとデッサン、番外 過去のスケッチとデッサンも10回を数えたので、一区切りとします。 今回は、その場で描いたのではないのでスケッチとは言えないものです。 1988年8月 夏の夕暮れ、北西の空 (色鉛筆) 日が沈んだ後の西の空の青のグラデーションがとても綺麗だったので、脳裏に焼き付けてから急いで家に帰って忘れないうちに絵に描いた。シルエットの部分は実際とは違い、かなり簡略している。 それにしても地球の大気はなんと美しいのだろう! |
2017年4月30日(日) 過去のスケッチとデッサン、その10 1994年4月 代々木公園 当時働いていた会社は目の前が公園で、昼休みの残り時間に気まぐれにスケッチをした。 ちょうど今頃の新緑の頃は、木々が光り輝いて、ことさら美しい。 自分が描いてきたモチーフは人工物ばかりなので、これは珍しい。 自然に興味がないわけではなく、むしろ逆に自然があまりにも美しく、自分には到底描き切れない、太刀打ちできない畏れ多い世界だからだ。 |
2017年4月16日(日) 過去のスケッチとデッサン、その9 1984年4月 スプーン 画家を目指し、大学のアトリエを出て一人で借家暮らしを始めた頃は、生真面目に身近なものをデッサンしたり、スケッチしようとしていた。 描いた日時と作業時間までメモしている。 ただ単に描けばそれで勉強をしたような気分になった。 でもそれも初めのうちだけで、次第にデッサンから遠ざかってゆく。 元来学校も勉強も嫌いなのだ。 |
2017年4月1日(土) 過去のスケッチとデッサン、その8 1989年1月 コーヒー豆の容器 (画用紙に色鉛筆、鉛筆) 毎年正月は実家のある八王子に戻っていたが、居る間何もすることがないので、気が向くとこんなデッサンを描いていた。 このコーヒー豆の容器はちょっと気に入っていたのだが、いつの間にか見かけなくなった。 もう捨ててしまったのだろう。 でもこうして絵にしておくと、いつでもそこにあるかのように思い出すことができる。 あらためて絵を描く行為の根源的な意味に気付かせてくれる。 |
2017年3月20日(月) 過去のスケッチとデッサン、その7 1984年11月 コーヒーカップ (紙に鉛筆) 大学では、ゼミの広いアトリエで大作を伸び伸びと描いていたが、卒業すると自分でアトリエになる住まいを見つけなくてはならない。 当時も今も公募展、団体展は大作主義で、その方向を目指す者は大作を制作しなければ話にならない。 その頃の自分はそっちに向かっていたので、大作が描けるようにと郊外の借家を借りることにした。 学生時代はアトリエ仲間と楽しく過ごしていたが、郊外の一軒家はそれに比べ、なんともたとえようのない寂寥感に、押しつぶされそうだった。 制作に没頭している時間が、寂しさを忘れさせた。 |
2017年3月3日(金) 過去のスケッチとデッサン、その6 (ケント紙に鉛筆) 若い頃に描いた鉛筆デッサン。 数少ないデッサンの中の1枚。 私は正直、デッサンは好きではなくて、勉強の為と分っていても、ほとんどしてこなかった。 一度描き始めれば、心のスイッチが入って集中して仕上げるが、なかなか描き出せない。 何を表現しようとするのかが定かでないと、描く気になれない。 キャンバス張り用のプライヤー。 これには随分とお世話になった。 これは壊れて、今使っているのは2代目。 |
2017年2月24日(金) 過去のスケッチとデッサン、その5 1987年12月 西新宿のビル (画用紙に鉛筆) これもどこかエドワード・ホッパーを連想させる。 光と影のコントラストがそうさせるのかもしれない。 当時のアルバイト先の会社の窓から、昼休みに描いたもの。 このビルの左右にも建物が建っていたが、このビルだけ切り取るように描いたことで、無意識に空疎な雰囲気が出た。 余談だが、この時代この周辺は地上げ屋によって、あちこちに空き地が出来ていた。 |
2017年2月14日(火) 過去のスケッチとデッサン、その4 1987年1月 「北野町JR中央線ガード」 (画用紙に鉛筆) 都営長沼住宅からほど近い所にある。 手前の線路が旅客用で、その後ろ一段高い路盤の線路が貨物の引き込み線である。 いつも青いタンク車が停留していた。 エドワード・ホッパーの風景画のような雰囲気だが、実際この辺りは殺風景な郊外の様相を呈していた。 昔も今もホッパーの絵には強く惹かれるが、このような郊外で10代の多感な時期を過ごしたことが、その要因の一つかと思う。 |
2017年2月4日(土) 過去のスケッチとデッサン、その3 1988年1月 「都営長沼住宅」 (画用紙に鉛筆) 前回より更に1年後に描いた都営住宅の遠景。 手前に湯殿川という名の川が流れている。 土手の道に標識。ガードレール。 その向こう岸に並ぶ都営住宅。 大きなモミの木と給水塔。 給水塔はこの地域のランドマークとなって、どこからでも目に入る。 自分の立っている場所は、収穫を終えた田圃の中だ。 |
2017年1月26日(木) 過去のスケッチとデッサン、その2 1987年1月 「都営長沼住宅」 (画用紙に鉛筆) これも前回と同じ都営住宅であるが、あれから丸2年が経っている。 前回の取材より更に空き家が増えたが、まだ建て替えは始まっていない。 この頃は、正月に実家に帰ると決まってスケッチブックを持って、寒空の中を歩いた。 見知らぬ人々の生活の痕跡と、自分の子供の頃の生活とが二重写しになって、だぶって見えるからだ。 |
2017年1月15日(日) 過去のスケッチとデッサン、その1 制作がはかどらないと、他の事も全部遠ざかってゆく感じがして、せめて今年はこのページだけでも更新を頻繁にしようと思う。 新作はなかなか出来そうもないけれども、昔描いた絵はいっぱいあるので、それらを載せてみる。 1984年暮「都営長沼住宅」 (画用紙に鉛筆) 終戦後、東京への人口流入が急で、住宅不足が深刻な時代があった。昭和20年代後半から30年代にかけて、東京郊外の各所に木造平屋の都営住宅がたくさん作られた。 私が生まれ育った家も、こことは場所が違うが典型的な都営住宅であった。 昭和50年頃からそれらの住宅は、老朽化に伴い高層住宅へ次々に建て替えられてゆく。 この絵に描かれた所も、建て替えを前に空き家だらけになっていた。 冬枯れの乾いた空気の中で、かつての賑やかな子供の遊ぶ声や母親の呼ぶ声が、幻聴のようにこだまする気がした。 |
2017年1月9日(月) 長谷川潾二郎展を見に行く めったに遠出をしない私が、今日は東京から新幹線と名鉄とバスを乗り継いで、どうしても見たかった長谷川潾二郎のコレクション展を岡崎市美術博物館まで見に行った。 行動力の乏しい自分が、行こうかどうしようかさんざん迷って、珍しく思い切った。 岡崎市在住のコレクターが同館に寄贈されたコレクションなので、東京に巡回展が来ることはないだろうから、このまま見なかったら、もしかして一生見れないかもしれないと思ったからだ。 作品には虚飾や誇張がなく、飽くまで均一に明るい光とそこから生まれる淡い陰影が、神秘な世界へ導く。 遅筆・寡作にして小品ばかり描いていた長谷川潾二郎。 私はこの人の背中を見て歩もうと、改めて思う。 |
2017年1月1日(日) 本年もよろしくお願いいたします あけましておめでとうございます。 昨年中も様々な方にお世話になりました。 ありがとうございました。 昨年はいつになく制作以外の仕事で手いっぱいになってしまい、年賀状のための作品作りもパスしてしまいました。 なので年末も押し迫ってフェルト版画で年賀状作り。 普段の作品とは趣が違いますが、これもいつもと同じアクリル絵具で刷っています。(水に濡れても大丈夫。) 「私はまだまだヒヨコです。」という意味も込めて・・・。 今年もいろいろな方にお世話になります。よろしくお願い申し上げます。 |
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